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<title>ぶたの一声</title>
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<description>http://homepage3.nifty.com/harebuta/でやっていたが、ケイタイで見れるようにした。
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<title>法然上人</title>
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<description> 　法然上人は、天台宗の比叡山で、難しい天台教学を学ばれ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;　法然上人は、天台宗の比叡山で、難しい天台教学を学ばれましたが、お寺の中で出世して、えらいお坊さんといわれたい、などとは思わない人でした。&lt;br /&gt;　知恵第一といわれたほど優れた人でしたが、お釈迦様の教えである仏教を、もっと広く深く勉強するために、のちに比叡山を下りました。&lt;br /&gt;　法然上人は、平清盛より年下で、鎌倉幕府を開いた源頼朝より年上でした。&lt;br /&gt;　平安時代の終わりごろ、源平の争いがつづいた時代です。地獄のような世の中を見て、仏教によって人々を救うことを願いました。　お釈迦様がインドで説かれた仏教の教えも、何百年ものあいだに、多くの弟子たちがいろんなことを考えてきましたので、中国においても、いろんなちがう教えに別れてしまっていました。&lt;br /&gt;　日本の中でも法相宗や真言宗や天台宗などの宗派に別れていました。&lt;br /&gt;　法然上人が生まれる百五十年くらい前に、源信が『往生要集』を書いています。&lt;br /&gt;　おそろしい地獄のようすを、くわしく書いてあることで知られていますが、念仏によって極楽浄土に往生しましょうという浄土教の教えを書いてある本です。&lt;br /&gt;　このように日本でも浄土思想は広まっていましたが、法然上人は、さらに中国の浄土教を研究しなおしました。&lt;br /&gt;　曇鸞、道綽、善導などの浄土宗のえらいお坊さんたちの教えがありましたが、中でも善導大師の書かれた『観無量寿経疏』を読んで心をうたれて、日本でも浄土宗の教えを広めようと決心なさったのです。&lt;br /&gt;　そして、いっぱいあるお経の中から、『観無量寿経』『無量寿経』『阿弥陀経』の三つを選んで、これを読むのがいいとおっしゃいました。&lt;br /&gt;　けれども、今でもお経をすらすら読めて、その意味がわかる人は、とても少ないです。その上、そのころは字を読めない人も多かったのです。&lt;br /&gt;　そこで、善導大師にならって、だれでも楽にできることで、みんなが救われるという方法をすすめたのです。&lt;br /&gt;　それが、阿弥陀様の名を称える念仏という方法です。念仏をすることで、だれもが浄土へ行けるのです。&lt;br /&gt;　浄土とは、阿弥陀様がおられる極楽浄土のことです。&lt;br /&gt;　地獄のようなこの世で、わたしたち人間はいろんな悩みをかかえて苦しんでいます。泣いたり怒ったり、つい悪いことをしてしまったり、ひとをきずつけてしまったり、自分もひどい目にあったりしています。&lt;br /&gt;　そんなわたしたちを、阿弥陀様が救ってくださるというのです。心が楽になるのです。　だれでも苦しいときには、心を楽にしてもらえるのなら、なんでもしたいと思います。　お寺にお金をたくさんもっていくとか、難しいお経を読んで勉強するとか、ねないで山の中を走りまわるとか、じーっとすわって動かないでいるとか。&lt;br /&gt;　でも、そんなことができますか？できる人もいますが、毎日いそがしくはたらいて生活しているふつうの人には、そんなひまも、根性もありません。　　　　　　　　&lt;br /&gt;　びんぼうな人でも、弱い人でも、どんな人でもできること、それが念仏です。&lt;br /&gt;　それまでは念仏といっても、極楽のようすや阿弥陀様の姿を思い描くという、観想念仏がはやっていました。お坊さんや貴族など、良く勉強ができる人ならできますが、ふつうの人にはなかなか難しくてできません。　&lt;br /&gt;　そこで法然上人がすすめたのは、ただ「なむあみだぶつ」と口でとなえることだけだったのです。&lt;br /&gt;「そんなことでいいのなら、だれにでもできるよ」と、みんなが安心しました。&lt;br /&gt;　これを称名念仏といいます。&lt;br /&gt;　念仏をすると、なぜ、だれもが救われるのかというと、阿弥陀様のことが『無量寿経』というお経に書いてあるのです。&lt;br /&gt;　阿弥陀様は、西の方の遠いところにある極楽浄土におられる仏様です。&lt;br /&gt;　その阿弥陀様が、「南無阿弥陀仏」と私の名前を称えた人は、必ず救いますとおっしゃっているのです。これを阿弥陀如来の本願といいます。&lt;br /&gt;　わたしたちを、だれでも、救ってくださるという阿弥陀様がいます。&lt;br /&gt;　救っていただくためには、「なむあみだぶつ」と口でいうだけでいいのです。&lt;br /&gt;　法然上人は、この簡単なやり方を、みんなにすすめたのです。多くの人がよろこびました。「なむあみだぶつ」「なむあみだぶつ」という声が日本中に広がったのです。&lt;br /&gt;「なむあみだぶつ」と口にすればいいのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;●この文も浄土宗の専門課程で書いたものです。私の家は浄土真宗で、子供のころから法事で阿弥陀経をきいていたり、親鸞聖人のことを耳にはしていました。今回、浄土宗を学んで、同じ浄土門でも宗派によってこれほどちがうのかとびっくりしました。真宗では法然上人の名を聞くことはありません。七高僧の本師源空としてあるだけで、説明もありませんので、檀家の人も法然上人のことは知りません。これではだめです。「法然と親鸞の信仰」倉田百三著は文庫本(講談社学術文庫)で手にはいります。　&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;念仏とはなにか、日本人なら当然知っておかなければならないことでしょう。宗教とか信仰以前の常識的教養です。これも知らずに日本文化は語れません。死を教えないのと同様、学校では決して教えません。自分で学びましょう。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>文化・芸術</dc:subject>

<dc:creator>butanomimi</dc:creator>
<dc:date>2012-04-13T14:15:30+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://butanomimi.cocolog-nifty.com/butanomimi/2012/04/post-6556.html">
<title>なむあみだぶつってなに？</title>
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<description>　　おばあちゃんが「なむあみだぶつ」と、つぶやいているのを見た子供が聞きました。...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　　おばあちゃんが「なむあみだぶつ」と、つぶやいているのを見た子供が聞きました。&lt;br /&gt;「なみやみだぶってなーに？おまじない？」　南無阿弥陀仏ってなに？と聞かれて、大人はきちんと答えられるでしょうか？&lt;br /&gt;　辞書の大辞林で『南無阿弥陀仏』をひいてみると、こう書いてあります。&lt;br /&gt;『阿弥陀仏に帰依するの意。浄土宗などでは、それを唱えることによって阿弥陀仏の浄土に救済されるとする。弥陀の名号。六字の名号。なむあみだ。』&lt;br /&gt;　岩波仏教辞典では、もうすこし詳しい。&lt;br /&gt;『（南無）はサンスクリット語ｎａｍｏ（わたくしは帰依します）の音写語であり、（阿弥陀仏）は仏典にこの仏を（無量の光明の仏）とも記すうち、サンスクリット語ａｍｉｔａ（無量の）を出して略称したといわれる。阿弥陀仏はわが名号を称える者を浄土に往生せしめると本願に誓い、衆生の積むべき往生行の功徳のすべてを代わって完成して、これを名号に収めて衆生に廻施している。この意味を善導は、（帰命）の二字と（阿弥陀仏）の四字、合わせて六字に関する釈義で明らかにしている。親鸞はこれをうけ、（南無阿弥陀仏）は衆生が浄土に往生する因であるから、名号のいわれである「まかせよ、必ず救うの仏の呼び声」を問信すべきであるという。親鸞は名号を本尊とし、六字のほかに九字、十字の名号を書いている。ちなみに、かれは（南無）を（なも）と発音している。「あなかしこといふ終わりの言やはあるべき。南無阿弥陀仏とこそ申さめ』&lt;br /&gt;　日本で浄土教をうちたてたのが法然上人でであり、法然上人を宗祖とする浄土宗が今日まで続いています。&lt;br /&gt;　南無阿弥陀仏、念仏を知るために、法然上人の『選択本願念仏集』を読みましょう。&lt;br /&gt;　その一には「道綽禅師、聖道・浄土の二門を立てて、しかも聖道を捨てて正しく浄土に帰するの文」とあります。&lt;br /&gt;　仏教を聖道門と浄土門の二つに分けています。聖道門は難しくて、きびしい修行をして自分の力で悟りを開くものです。&lt;br /&gt;　浄土門は仏様の力によって極楽浄土に行くことができるやさしい行です。&lt;br /&gt;　だから法然上人は、だれでもが救われる浄土門のほうを選びました。&lt;br /&gt;　その二には、「善導和尚、正雑二行を立てて、雑行を捨てて正行に帰するの文」&lt;br /&gt;　法然上人は中国の善導大師の『観無量寿経疏』に書いてあることに賛同し、「偏へに善導一師に依る」といわれました。&lt;br /&gt;　極楽浄土へ行くための行を、正行と雑行のふたつに分けました。&lt;br /&gt;　正行は五つあります。&lt;br /&gt;①観無量寿経・阿弥陀経・無量寿経を読む。②阿弥陀仏と極楽浄土の美しさを思い描く。③阿弥陀仏を拝む。&lt;br /&gt;④阿弥陀仏の名を称える。&lt;br /&gt;⑤阿弥陀仏をほめたたえて供養する。&lt;br /&gt;　この五つの正行のうちから、④の阿弥陀仏の名を称える、称名念仏を選んで正定業としました。そのほかの四つは助業としました。　阿弥陀仏の名を称える称名念仏を一番大事なこととして、とにかく「南無阿弥陀仏」と念仏を称えることをすすめました。&lt;br /&gt;　その三には、「弥陀如来、余行をもって往生の本願としたまわず、ただ念仏をもって往生の本願としたまえるの文」　　　　　　　　ここでは阿弥陀如来が主語になります。このあと、わたしたちが念仏をすると、どうして極楽往生できるのか、ということを説明していきます。　　　　　　　　　　　　　　『無量寿経』に、阿弥陀様が如来になる前、法蔵菩薩という名前で修行をしていたときのことが書かれています。&lt;br /&gt;　法蔵菩薩が四十八の願いを立てました。その願いがかなわなかったら阿弥陀如来にはなりません、という願いなのですが、もう阿弥陀如来になっているので、その願いはかなったということになるのです。&lt;br /&gt;　その願いのうちの第十八番を特別に良いものと考えたのが浄土教です。&lt;br /&gt;　善導大師は『往生礼賛』には第十八願をこう書いています。&lt;br /&gt;「もし我成仏せんに、十方の衆生、我が名号を称すること、下十声に至るまで、もし生ぜずんば正覚を取らじ」&lt;br /&gt;　さらに「彼の仏、今現に世に在して成仏したまえり。まさに知るべし。本誓の重願虚しからず、衆生称念すれば必ず往生することを得」とつづけています。&lt;br /&gt;　法然上人は、源信の『往生要集』からも引いて、念仏のありがたさを説明しています。　難しい修行をできる人は少ない。仏像を作るのも金持ちしかできない。けれども、「なむあみだぶつ」と念仏を称えることなら、貧しい人でもできます。お金もかからず、いつでも、だれでもできる、とても良い方法だということです。&lt;br /&gt;　法然上人は、みんなが救われてほしいという願いから、念仏を称えるという簡単なやり方を見つけ出して、みんなにすすめたということです。&lt;br /&gt;　亡くなる前に『一枚起請文』という一枚の紙に、念仏の極意を、みんなのために書きました。くどいほど同じことを、ていねいに分かりやすく伝えようとされています。　&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;最近、浄土宗の専門課程で書いた文です。&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>butanomimi</dc:creator>
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<title>版画「南無阿弥陀仏」   </title>
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<description>南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a class=&quot;mb&quot; href=&quot;http://butanomimi.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2012/02/11/namuamida.gif&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Namuamida&quot; height=&quot;358&quot; alt=&quot;Namuamida&quot; src=&quot;http://butanomimi.cocolog-nifty.com/butanomimi/images/2012/02/11/namuamida.gif&quot; width=&quot;300&quot; border=&quot;0&quot; /&gt;&lt;/a&gt; 南無阿弥陀仏&amp;nbsp; 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏&amp;nbsp; なむあみだぶつ なむあみだぶ なむあみだぶ&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;平成24年2月11日&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>文化・芸術</dc:subject>

<dc:creator>butanomimi</dc:creator>
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<item rdf:about="http://butanomimi.cocolog-nifty.com/butanomimi/2012/01/post-4ef6.html">
<title>宗教ブーム</title>
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<description>前にも書いたが、仏教ブームです。神社神道や昔ながらの日本の宗教に対 する関心は深...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;前にも書いたが、仏教ブームです。神社神道や昔ながらの日本の宗教に対&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;する関心は深まっている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www.bk1.jp/books/authorSearchResult/?authorKana=%E3%82%A2%E3%83%9E+%E3%83%88%E3%82%B7%E3%83%9E%E3%83%AD&amp;amp;adultFlg=0&amp;amp;authorId=110000034030000&amp;amp;author=%E9%98%BF%E6%BA%80+%E5%88%A9%E9%BA%BF&quot;&gt;阿満 利麿著&lt;/a&gt;「日本人はなぜ無宗教なのか」&amp;nbsp; ちくま新書 &lt;a href=&quot;http://www.bk1.jp/product/01359675http://www.bk1.jp/product/01359675http://www.bk1.jp/product/01359675&quot;&gt;http://www.bk1.jp/product/01359675&lt;u&gt;&lt;span style=&quot;color: #800080;&quot;&gt;http://www.bk1.jp/product/01359675http://www.bk1.jp/product/01359675&lt;/span&gt;&lt;/u&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;という本のｂｋ１のサイトに拙文を書いたのは、2001年のことで、しばらく反応はなかったのだが、2010年に何人かが評をよせています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この10年で更に宗教を語れる状況になってきたようだ。東京新聞には仏教の記事が多くのり、講演情報、[例えば武蔵野大学での無料の講座。これを見て行ってみました。]ものります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;昔はひどかったが、やっと宗教を語れる時代になったようだ。テレビでもやたらとお寺や神社訪問の番組が流されるようになってきた。宗教をさけていると無知のためにカルト宗教などにだまされる人々が増えるので、やはり勉強はしないと危険だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;参考として紹介しますが、&lt;a onmousedown=&quot;return lswap(this,&#39;http%3A//www.icho.gr.jp/shararin/interview/&#39;,&#39;FOR=Rk7Fep5V3igZ7aBn5wJmM8v_7zNfesPmvqtHRZ5h6NeXqVQEbqJXkodqH6CHclB.ORKm_3LsN07IxnqSzWh41ety0aWeQNLJeGHDw37TIxMXipDuDDk_e09bGfIU_ywfMbyDRBUoeOmAs6Lb7qUisPqHTlvvP.dt44AOQTRdq9x3N5.zoslnAK1lqLm8525DxYW.7G6Y.aTOczHnyX6Ku0zLpMrx/&#39;,&#39;A3aX6DeG3BZPdVEAusiDTwx.&#39;,&#39;X3oDMTBtNHJhZXRnBHBvcwMxBHNlYwNzcgRzbGsDdGl0bGU-&#39;,&#39;11tq2rc08&#39;,&#39;1326999110&#39;)&quot; href=&quot;http://www.icho.gr.jp/shararin/interview/&quot;&gt;&lt;span style=&quot;color: #4c2472;font-size: 1.4em;&quot;&gt;しゃらりんweb/阿満利麿さんに聞く&lt;/span&gt;&lt;/a&gt;などもおもしろい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>butanomimi</dc:creator>
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<title>続する仏教</title>
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<description>今は仏教ブームですが、仏像や、お寺は、本来の仏教の教えからすると、どうでもいいこ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;今は仏教ブームですが、仏像や、お寺は、本来の仏教の教えからすると、どうでもいいことです。お釈迦様もそうですが、日本の宗祖、例えば親鸞聖人にしても、大きな寺や、教団を作ろうとしたわけではありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;伝統仏教（いわゆる昔からあるお寺）と新興宗教の良さ悪さを知る必要があります。浄土宗、日蓮宗なども鎌倉時代では新興宗教といえます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;これから除夜の鐘などで中継されるであろう東京芝の増上寺は浄土宗です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;学校の日本史でもうわべだけは習うのですが、なにしろ戦前は国家神道であり、戦後はアメリカのキリスト教と、宗教を嫌う共産主義の力が強く、「政教分離」の名のもとに、行き過ぎた日本古来の神道、仏教の忌避（特に公務員において）が横行してきました。その結果、ろくでもない世の中になったといえるだろう。世界を見ると、キリスト教のみならず、ユダヤ教や、またイスラム教のことを知らないと、なにもわからないことがわかる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;日本のことは仏教を知らなければわからない。学校教育で仏教、神道をきちんと教えるべき時代になったということだ。いままでは、こんなことをいうと、とんでもない右翼思想の危険な者といわれたのだが、時代は変わった。が、思想や教育はなかなか変わらない。若者は自分で研究してください。自分の目で見て、自分の判断で。権威に盲従するのはだめです。そのために、お釈迦様その人の考えを、直接お釈迦様に伺って、知りましょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私が今師事している河波晶先生は、比較宗教学の権威で、世界的な宗教学者でもあり、念仏（南無阿弥陀仏）ですが、禅を越え、キリスト教とも共通する思想を教えていただいています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;法然上人の遺言である「一枚起請文」は鎌倉時代のものですが、現代人にも役立つ思想です。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>心と体</dc:subject>
<dc:subject>文化・芸術</dc:subject>

<dc:creator>butanomimi</dc:creator>
<dc:date>2011-12-17T22:50:50+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://butanomimi.cocolog-nifty.com/butanomimi/2011/10/post-cb7c.html">
<title>足元を見る</title>
<link>http://butanomimi.cocolog-nifty.com/butanomimi/2011/10/post-cb7c.html</link>
<description>亡くなったアップルのスティーブ・ジョブズ氏の言葉 自分はまもなく死ぬという認識が...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;亡くなったアップルのスティーブ・ジョブズ氏の言葉&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。本当に大切なことしか残らない。自分は死ぬのだと思い出すことが、敗北する不安にとらわれない最良の方法です。我々はみんな最初から裸です。自分の心に従わない理由はないのです。 &lt;/p&gt;

&lt;li&gt;あなた方の時間は限られています。だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。ドグマにとらわれてはいけない。それは他人の考えに従って生きることと同じです。 &lt;/li&gt;

&lt;li&gt;ハングリーであれ。愚か者であれ。(&lt;span lang=&quot;en&quot; xml:lang=&quot;en&quot;&gt;Stay Hungry. Stay Foolish.&lt;/span&gt;) &lt;/li&gt;

&lt;ul&gt;&lt;/ul&gt;

&lt;li&gt;(スタンフォード大学2005年卒業式の祝辞)ウィキペディアからのパクリ。&lt;/li&gt;

&lt;li&gt;&lt;/li&gt;

&lt;li&gt;これは彼が仏教から学んだことでしょう。日本人はアメリカをぼけーっと見るのではなく、自分の足元をよくよく見るべきです。外人から足元の研究をされている。&lt;/li&gt;

&lt;ul&gt;&lt;/ul&gt;</content:encoded>



<dc:creator>butanomimi</dc:creator>
<dc:date>2011-10-10T12:22:46+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://butanomimi.cocolog-nifty.com/butanomimi/2011/09/post-227b.html">
<title>仏教を知らないと日本がわからない</title>
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<description>英語を学んでいる人は、ギリシャ神話や聖書の知識が必要だと思うでしょう。同様に日本...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;英語を学んでいる人は、ギリシャ神話や聖書の知識が必要だと思うでしょう。同様に日本の歴史を知るためには、仏教を知らないとだめです。60歳過ぎて、仏道に入って、やっと気がつきました。情けないことですが、気がついただけましです。老人になっても気がつかない人が多いのが現状です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;戦後の教育を受けて育ちました。アメリカ人にあこがれて、映画、音楽、美術など、みんなアメリカのまねをして育ってきました。一方で、例えばNHKのラジオで、落語の古今亭新生、浪曲の広沢虎造、講談などで明治や江戸時代の日本の文化も吸収しました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;昭和20年代にGHQに支配されていた時の影響で、例えば漢字をやめてローマ字にしろとか、さまざまな圧力がありました。若い人は戦争に負けて米軍が日本中に駐留していた頃の歴史をよく知ってください。学校では教えないでしょう。それどころかﾞ明治以降の歴史は教えないのが、日本です。こんな国はほかにはないでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;とかいうようなことを、私自身、その中で育ってしまうと、若いうちは気がつかなかったのです。アホです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;世界のどんな国でも、宗教をおろそかにしている国はないでしょう。マルクス主義、共産主義は、それ自体が宗教の一派と考えると、わかりやすくなります。他の宗教を毛嫌いするのは、宗派宗教の常です。キリスト教とイスラム教の不毛の争いを誰もが知っているでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その国の文化に、宗教は組み込まれています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;日本の歴史は仏教史ぬきには語れません。なのに、戦後、学校教育では宗教を排斥し、無視するように強制されてきました。戦前の国家神道の復活を恐れたからでしょう。それが現在でも政治家の靖国神社参拝問題として見ることができます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;書き切れませんので、とにかく、自分で仏教を勉強してみてください。とてつもなく大きく、楽しい世界があります。だんだん書いていきます。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>文化・芸術</dc:subject>

<dc:creator>butanomimi</dc:creator>
<dc:date>2011-09-30T22:07:31+09:00</dc:date>
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<title>犀の角？</title>
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<description>ここでも書きましたが「犀の角」という言葉がありますが、これがどうも？です。「犀の...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;ここでも書きましたが「犀の角」という言葉がありますが、これがどうも？です。「犀の角のように一人歩め」という言葉ですが、なんかへんだとは思っていましたが、「犀の角」で検索すると、これが誤訳だという書き込みがありました&lt;a href=&quot;http://www.geocities.jp/dhammini131/howa375.html&quot;&gt;http://www.geocities.jp/dhammini131/howa375.html&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;最近日本でも布教されているスリランカのスマナサーラ長老のサイトでした。仏教を研究するにはいいです。日本仏教とは違います。わかりやすくのべられています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ただ、文中にＮ先生とありますが、多分中村元先生でしょう。「犀のように一人歩め」のほうがすっきりすることは納得です。だが、Ｎ先生などと書くのは中途半端だ。何を恐れて匿名にするのか？これでは信用できない。読む人が誤解するでしょう。日本の有名な先生の書いたことが間違っているのなら、そう指摘するべきだし、指摘されているのだから、匿名にするのはおかしいでしょう。そして、それが真実なら当然訂正されるべきです。日本の研究者もこれを取りあげて議論するべきです。それが仏道、それをごまかすのは仏道にもとる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;第一お釈迦様に失礼だ。お釈迦様はへんなことは言っておられない。難しいことでも、たとえがわかりやすく、ごまかしがない。無記といわれるように、いいかげんなことをいわれず、誠実です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「犀の角」は私もへんだとおもったが、インドにはなにかそういう特別ないわれがあるのかと思っていた。英語でもそう訳されているようなので、中村元さんが最初にそう訳したわけでもないだろう。誠実になりましょう。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>心と体</dc:subject>

<dc:creator>butanomimi</dc:creator>
<dc:date>2011-05-02T22:16:56+09:00</dc:date>
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<title>仏教ブーム　良い悪い？</title>
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<description>今は仏教ブームといえる。戦後ずっと左翼思想の影響で、仏教のことはマスコミではあま...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;今は仏教ブームといえる。戦後ずっと左翼思想の影響で、仏教のことはマスコミではあまり取りあげられなかった。おかしなことにキリスト教はよくとりあげられたのに。日本も東北大震災を機に、またひとつ変わるだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;東北の人々の中に、数百年単位でのことだが、仏教があることを、あらためて感じる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;親鸞聖人も、やたらとブームだが、どうも？がつくが、まあ、若者が関心をもってくれるのは良いことだ。親鸞研究するなら法然上人をよく知ってからにしたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;本はいくらでも売っているが、宗派にしばられている僧の著書は抵抗があるという方は（そのこと自体間違いだが）在家の作家や学者のものを読むことになるが著者存命中のものより、死んだ人の本を読みましょう。生きて有名人となって活躍中の人はなまぐさい。？だらけだから。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;倉田百三の「出家とその弟子」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;柳宗悦「南無阿弥陀仏」（岩波文庫８００円）これは激しくおすすめします。私自身読書中。本屋のたなで岩波文庫をあさっていたとき、「南無阿弥陀仏」が目に入るのだが、手にとらないだろう。私もずっと手にとらなかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;デザイナーをやっていたので民芸の柳は知っていたが、柳の宗教論を聞く気がなかった。が、どういうわけか今回手に取ってしまった。その時期になったということだろう。読むと、ずんずん心にひびいた。念仏について、これだけわかりやすく、深く思考した在家の本はめずらしい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;解説者は入門書というが、入門書ではない。初心者がいきなりこれを読んでもまったく受け付けないだろう。なにしろ「南無阿弥陀仏」だから。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;五木寛之さんでさえ、テレビで「小さな声でなむあみだぶつ・・」とか発言されていた。それじゃあだめです。称名念仏をやってから読むとよくわかる。やらないで読んでもつまらない本だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;する仏教、その浄土門、口称念仏です。私自身は、子供の時、祖母がいつも「なまんだぶ、なまんだぶ」といっていたのを思い出します。浄土真宗ではこれが全てです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「禅」と書いてあると、なんだかかっこいいと手にとるが、「なむあみだぶつ」じゃだれも手に取らないのが現状だろう。おおまちがいです。無知というしかない。頭を空にして、全てを捨てて、仏教を学びましょう。おすすめします。これホント。だが、多くの人は信じませんね。縁なき衆生は度しがたし。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>心と体</dc:subject>

<dc:creator>butanomimi</dc:creator>
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<item rdf:about="http://butanomimi.cocolog-nifty.com/butanomimi/2011/03/post-1c52.html">
<title>正しく仏教を知ること</title>
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<description>ここ数十年の間、日本だけが、公式の場では、教育においても、世界の中で異様に「宗教...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;ここ数十年の間、日本だけが、公式の場では、教育においても、世界の中で異様に「宗教」というものを、避けてきた。「宗教」といったとたんに、思考停止する人が多い。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;外国へいった人はそのことを意識させられるらしい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;いくら避けようとしても、人は、ある意味での「宗教」あるいは「物質ではなく心の問題」を避けては生きてはいけない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;民間では新興宗教は花盛りだし、正月の神社参拝も盛んだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;精神を病む人も多い。明治以来西洋文明をひたすら取り入れてきたが、今は日本をじっと見つめなおす時だ。だが、教育された脳は、そう簡単に、立ち止まったり、方向転換をすることができない。インテリ、成績の良い人ほど、頑固に過去に得た知識にこだわる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;鎌倉時代に法然上人が「念仏」をすすめて、浄土宗として続いている。その弟子の親鸞聖人の教えは浄土真宗として続いている。宗教を避けようとする歴史の教科書では「一向宗」として、ちょろっと出るだけだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;法然上人の遺言である「一枚起請文」は念仏をするときの心得をのべたものだが、現代人にも賛同できるところがある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;くどくどと、同じことを述べられているので、勝手に要約します。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「いくら学問をした人でも、文字も読めない無知な人のような心になって、小賢しいことは考えずに、ただひたすら、南無阿弥陀仏と唱える」ということです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>心と体</dc:subject>

<dc:creator>butanomimi</dc:creator>
<dc:date>2011-03-23T14:47:55+09:00</dc:date>
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