2012年4月13日 (金)

法然上人

    法然上人は、天台宗の比叡山で、難しい天台教学を学ばれましたが、お寺の中で出世して、えらいお坊さんといわれたい、などとは思わない人でした。
 知恵第一といわれたほど優れた人でしたが、お釈迦様の教えである仏教を、もっと広く深く勉強するために、のちに比叡山を下りました。
 法然上人は、平清盛より年下で、鎌倉幕府を開いた源頼朝より年上でした。
 平安時代の終わりごろ、源平の争いがつづいた時代です。地獄のような世の中を見て、仏教によって人々を救うことを願いました。 お釈迦様がインドで説かれた仏教の教えも、何百年ものあいだに、多くの弟子たちがいろんなことを考えてきましたので、中国においても、いろんなちがう教えに別れてしまっていました。
 日本の中でも法相宗や真言宗や天台宗などの宗派に別れていました。
 法然上人が生まれる百五十年くらい前に、源信が『往生要集』を書いています。
 おそろしい地獄のようすを、くわしく書いてあることで知られていますが、念仏によって極楽浄土に往生しましょうという浄土教の教えを書いてある本です。
 このように日本でも浄土思想は広まっていましたが、法然上人は、さらに中国の浄土教を研究しなおしました。
 曇鸞、道綽、善導などの浄土宗のえらいお坊さんたちの教えがありましたが、中でも善導大師の書かれた『観無量寿経疏』を読んで心をうたれて、日本でも浄土宗の教えを広めようと決心なさったのです。
 そして、いっぱいあるお経の中から、『観無量寿経』『無量寿経』『阿弥陀経』の三つを選んで、これを読むのがいいとおっしゃいました。
 けれども、今でもお経をすらすら読めて、その意味がわかる人は、とても少ないです。その上、そのころは字を読めない人も多かったのです。
 そこで、善導大師にならって、だれでも楽にできることで、みんなが救われるという方法をすすめたのです。
 それが、阿弥陀様の名を称える念仏という方法です。念仏をすることで、だれもが浄土へ行けるのです。
 浄土とは、阿弥陀様がおられる極楽浄土のことです。
 地獄のようなこの世で、わたしたち人間はいろんな悩みをかかえて苦しんでいます。泣いたり怒ったり、つい悪いことをしてしまったり、ひとをきずつけてしまったり、自分もひどい目にあったりしています。
 そんなわたしたちを、阿弥陀様が救ってくださるというのです。心が楽になるのです。 だれでも苦しいときには、心を楽にしてもらえるのなら、なんでもしたいと思います。 お寺にお金をたくさんもっていくとか、難しいお経を読んで勉強するとか、ねないで山の中を走りまわるとか、じーっとすわって動かないでいるとか。
 でも、そんなことができますか?できる人もいますが、毎日いそがしくはたらいて生活しているふつうの人には、そんなひまも、根性もありません。        
 びんぼうな人でも、弱い人でも、どんな人でもできること、それが念仏です。
 それまでは念仏といっても、極楽のようすや阿弥陀様の姿を思い描くという、観想念仏がはやっていました。お坊さんや貴族など、良く勉強ができる人ならできますが、ふつうの人にはなかなか難しくてできません。 
 そこで法然上人がすすめたのは、ただ「なむあみだぶつ」と口でとなえることだけだったのです。
「そんなことでいいのなら、だれにでもできるよ」と、みんなが安心しました。
 これを称名念仏といいます。
 念仏をすると、なぜ、だれもが救われるのかというと、阿弥陀様のことが『無量寿経』というお経に書いてあるのです。
 阿弥陀様は、西の方の遠いところにある極楽浄土におられる仏様です。
 その阿弥陀様が、「南無阿弥陀仏」と私の名前を称えた人は、必ず救いますとおっしゃっているのです。これを阿弥陀如来の本願といいます。
 わたしたちを、だれでも、救ってくださるという阿弥陀様がいます。
 救っていただくためには、「なむあみだぶつ」と口でいうだけでいいのです。
 法然上人は、この簡単なやり方を、みんなにすすめたのです。多くの人がよろこびました。「なむあみだぶつ」「なむあみだぶつ」という声が日本中に広がったのです。
「なむあみだぶつ」と口にすればいいのです。

●この文も浄土宗の専門課程で書いたものです。私の家は浄土真宗で、子供のころから法事で阿弥陀経をきいていたり、親鸞聖人のことを耳にはしていました。今回、浄土宗を学んで、同じ浄土門でも宗派によってこれほどちがうのかとびっくりしました。真宗では法然上人の名を聞くことはありません。七高僧の本師源空としてあるだけで、説明もありませんので、檀家の人も法然上人のことは知りません。これではだめです。「法然と親鸞の信仰」倉田百三著は文庫本(講談社学術文庫)で手にはいります。 

念仏とはなにか、日本人なら当然知っておかなければならないことでしょう。宗教とか信仰以前の常識的教養です。これも知らずに日本文化は語れません。死を教えないのと同様、学校では決して教えません。自分で学びましょう。                                                                                                                                                                                                                                                                      

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2012年2月11日 (土)

版画「南無阿弥陀仏」

Namuamida 南無阿弥陀仏  南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏  なむあみだぶつ なむあみだぶ なむあみだぶ

平成24年2月11日

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2011年12月17日 (土)

続する仏教

今は仏教ブームですが、仏像や、お寺は、本来の仏教の教えからすると、どうでもいいことです。お釈迦様もそうですが、日本の宗祖、例えば親鸞聖人にしても、大きな寺や、教団を作ろうとしたわけではありません。

伝統仏教(いわゆる昔からあるお寺)と新興宗教の良さ悪さを知る必要があります。浄土宗、日蓮宗なども鎌倉時代では新興宗教といえます。

これから除夜の鐘などで中継されるであろう東京芝の増上寺は浄土宗です。

学校の日本史でもうわべだけは習うのですが、なにしろ戦前は国家神道であり、戦後はアメリカのキリスト教と、宗教を嫌う共産主義の力が強く、「政教分離」の名のもとに、行き過ぎた日本古来の神道、仏教の忌避(特に公務員において)が横行してきました。その結果、ろくでもない世の中になったといえるだろう。世界を見ると、キリスト教のみならず、ユダヤ教や、またイスラム教のことを知らないと、なにもわからないことがわかる。

日本のことは仏教を知らなければわからない。学校教育で仏教、神道をきちんと教えるべき時代になったということだ。いままでは、こんなことをいうと、とんでもない右翼思想の危険な者といわれたのだが、時代は変わった。が、思想や教育はなかなか変わらない。若者は自分で研究してください。自分の目で見て、自分の判断で。権威に盲従するのはだめです。そのために、お釈迦様その人の考えを、直接お釈迦様に伺って、知りましょう。

私が今師事している河波晶先生は、比較宗教学の権威で、世界的な宗教学者でもあり、念仏(南無阿弥陀仏)ですが、禅を越え、キリスト教とも共通する思想を教えていただいています。

法然上人の遺言である「一枚起請文」は鎌倉時代のものですが、現代人にも役立つ思想です。

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2011年9月30日 (金)

仏教を知らないと日本がわからない

英語を学んでいる人は、ギリシャ神話や聖書の知識が必要だと思うでしょう。同様に日本の歴史を知るためには、仏教を知らないとだめです。60歳過ぎて、仏道に入って、やっと気がつきました。情けないことですが、気がついただけましです。老人になっても気がつかない人が多いのが現状です。

戦後の教育を受けて育ちました。アメリカ人にあこがれて、映画、音楽、美術など、みんなアメリカのまねをして育ってきました。一方で、例えばNHKのラジオで、落語の古今亭新生、浪曲の広沢虎造、講談などで明治や江戸時代の日本の文化も吸収しました。

昭和20年代にGHQに支配されていた時の影響で、例えば漢字をやめてローマ字にしろとか、さまざまな圧力がありました。若い人は戦争に負けて米軍が日本中に駐留していた頃の歴史をよく知ってください。学校では教えないでしょう。それどころが明治以降の歴史は教えないのが、日本です。こんな国はほかにはないでしょう。

とかいうようなことを、私自身、その中で育ってしまうと、若いうちは気がつかなかったのです。アホです。

世界のどんな国でも、宗教をおろそかにしている国はないでしょう。マルクス主義、共産主義は、それ自体が宗教の一派と考えると、わかりやすくなります。他の宗教を毛嫌いするのは、宗派宗教の常です。キリスト教とイスラム教の不毛の争いを誰もが知っているでしょう。

その国の文化に、宗教は組み込まれています。

日本の歴史は仏教史ぬきには語れません。なのに、戦後、学校教育では宗教を排斥し、無視するように強制されてきました。戦前の国家神道の復活を恐れたからでしょう。それが現在でも政治家の靖国神社参拝問題として見ることができます。

書き切れませんので、とにかく、自分で仏教を勉強してみてください。とてつもなく大きく、楽しい世界があります。だんだん書いていきます。

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2009年12月15日 (火)

いのり

私たちは「いのり」を忘れていた。「いのる」ことは、大昔から人々がしてきた、生きる上での大事なことですが、学校教育やマスコミなどで、「宗教に関わらない」方針がとられたために、世界的に見ても日本の盲点となっている。迷信として「いのり」を遠ざけてきた。

だが、医学や工学などが進歩して、脳の働き、心の働きがわかってくると、逆に、「どんなことがわからないのか?」ということがわかってくる。

医学的には証明できないけれども、だれもが感じる、経験する不思議なことがある。宗教人や芸術家は、そこを担当するひとだ。今はテレビなどで、幽霊のたたりなどをいったりするが、親鸞上人はその点を厳しく否定している。インチキも多いが、そこには真実もあるとしかいいようがない。いのりは、仏教でいう縁起の考えから見て、有効なものではないかと思える。まだ勉強中ですが。そのために、実際に、真剣に「いのる」ことをやってみる価値はあるでしょう。

昔は「天知る 地知る 我知る」ということを日常的に言われました。精神世界がつながっているとするなら、いのりが有効になります。

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2005年7月 6日 (水)

矢玉四郎はれぶたのぶたごや

はれぶたの本の紹介など 矢玉四郎のホームページ

http://butagoya.o.oo7.jp/index.htm

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