2013年5月 7日 (火)

中国の般若心経

ユーチューブにあった中国の般若心経です。歌になってます。

http://www.youtube.com/watch?v=rFved6HsRH4

漢字をなぞっていくと、だいたいわかります。

観音様の頭のところには、阿弥陀様がいます。大きいのでよくわかります。本来のお釈迦様の教えとは何の関係もありませんが、こういうことを知るのもおもしろいです。

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2011年12月17日 (土)

続する仏教

今は仏教ブームですが、仏像や、お寺は、本来の仏教の教えからすると、どうでもいいことです。お釈迦様もそうですが、日本の宗祖、例えば親鸞聖人にしても、大きな寺や、教団を作ろうとしたわけではありません。

伝統仏教(いわゆる昔からあるお寺)と新興宗教の良さ悪さを知る必要があります。浄土宗、日蓮宗なども鎌倉時代では新興宗教といえます。

これから除夜の鐘などで中継されるであろう東京芝の増上寺は浄土宗です。

学校の日本史でもうわべだけは習うのですが、なにしろ戦前は国家神道であり、戦後はアメリカのキリスト教と、宗教を嫌う共産主義の力が強く、「政教分離」の名のもとに、行き過ぎた日本古来の神道、仏教の忌避(特に公務員において)が横行してきました。その結果、ろくでもない世の中になったといえるだろう。世界を見ると、キリスト教のみならず、ユダヤ教や、またイスラム教のことを知らないと、なにもわからないことがわかる。

日本のことは仏教を知らなければわからない。学校教育で仏教、神道をきちんと教えるべき時代になったということだ。いままでは、こんなことをいうと、とんでもない右翼思想の危険な者といわれたのだが、時代は変わった。が、思想や教育はなかなか変わらない。若者は自分で研究してください。自分の目で見て、自分の判断で。権威に盲従するのはだめです。そのために、お釈迦様その人の考えを、直接お釈迦様に伺って、知りましょう。

私が今師事している河波晶先生は、比較宗教学の権威で、世界的な宗教学者でもあり、念仏(南無阿弥陀仏)ですが、禅を越え、キリスト教とも共通する思想を教えていただいています。

法然上人の遺言である「一枚起請文」は鎌倉時代のものですが、現代人にも役立つ思想です。

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2011年5月 2日 (月)

犀の角?

ここでも書きましたが「犀の角」という言葉がありますが、これがどうも?です。「犀の角のように一人歩め」という言葉ですが、なんかへんだとは思っていましたが、「犀の角」で検索すると、これが誤訳だという書き込みがありましたhttp://www.geocities.jp/dhammini131/howa375.html

最近日本でも布教されているスリランカのスマナサーラ長老のサイトでした。仏教を研究するにはいいです。日本仏教とは違います。わかりやすくのべられています。

ただ、文中にN先生とありますが、多分中村元先生でしょう。「犀のように一人歩め」のほうがすっきりすることは納得です。だが、N先生などと書くのは中途半端だ。何を恐れて匿名にするのか?これでは信用できない。読む人が誤解するでしょう。日本の有名な先生の書いたことが間違っているのなら、そう指摘するべきだし、指摘されているのだから、匿名にするのはおかしいでしょう。そして、それが真実なら当然訂正されるべきです。日本の研究者もこれを取りあげて議論するべきです。それが仏道、それをごまかすのは仏道にもとる。

第一お釈迦様に失礼だ。お釈迦様はへんなことは言っておられない。難しいことでも、たとえがわかりやすく、ごまかしがない。無記といわれるように、いいかげんなことをいわれず、誠実です。

「犀の角」は私もへんだとおもったが、インドにはなにかそういう特別ないわれがあるのかと思っていた。英語でもそう訳されているようなので、中村元さんが最初にそう訳したわけでもないだろう。誠実になりましょう。

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仏教ブーム 良い悪い?

今は仏教ブームといえる。戦後ずっと左翼思想の影響で、仏教のことはマスコミではあまり取りあげられなかった。おかしなことにキリスト教はよくとりあげられたのに。日本も東北大震災を機に、またひとつ変わるだろう。

東北の人々の中に、数百年単位でのことだが、仏教があることを、あらためて感じる。

親鸞聖人も、やたらとブームだが、どうも?がつくが、まあ、若者が関心をもってくれるのは良いことだ。親鸞研究するなら法然上人をよく知ってからにしたい。

本はいくらでも売っているが、宗派にしばられている僧の著書は抵抗があるという方は(そのこと自体間違いだが)在家の作家や学者のものを読むことになるが著者存命中のものより、死んだ人の本を読みましょう。生きて有名人となって活躍中の人はなまぐさい。?だらけだから。

倉田百三の「出家とその弟子」

柳宗悦「南無阿弥陀仏」(岩波文庫800円)これは激しくおすすめします。私自身読書中。本屋のたなで岩波文庫をあさっていたとき、「南無阿弥陀仏」が目に入るのだが、手にとらないだろう。私もずっと手にとらなかった。

デザイナーをやっていたので民芸の柳は知っていたが、柳の宗教論を聞く気がなかった。が、どういうわけか今回手に取ってしまった。その時期になったということだろう。読むと、ずんずん心にひびいた。念仏について、これだけわかりやすく、深く思考した在家の本はめずらしい。

解説者は入門書というが、入門書ではない。初心者がいきなりこれを読んでもまったく受け付けないだろう。なにしろ「南無阿弥陀仏」だから。

五木寛之さんでさえ、テレビで「小さな声でなむあみだぶつ・・」とか発言されていた。それじゃあだめです。称名念仏をやってから読むとよくわかる。やらないで読んでもつまらない本だ。

する仏教、その浄土門、口称念仏です。私自身は、子供の時、祖母がいつも「なまんだぶ、なまんだぶ」といっていたのを思い出します。浄土真宗ではこれが全てです。

「禅」と書いてあると、なんだかかっこいいと手にとるが、「なむあみだぶつ」じゃだれも手に取らないのが現状だろう。おおまちがいです。無知というしかない。頭を空にして、全てを捨てて、仏教を学びましょう。おすすめします。これホント。だが、多くの人は信じませんね。縁なき衆生は度しがたし。

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2011年3月23日 (水)

正しく仏教を知ること

ここ数十年の間、日本だけが、公式の場では、教育においても、世界の中で異様に「宗教」というものを、避けてきた。「宗教」といったとたんに、思考停止する人が多い。

外国へいった人はそのことを意識させられるらしい。

いくら避けようとしても、人は、ある意味での「宗教」あるいは「物質ではなく心の問題」を避けては生きてはいけない。

民間では新興宗教は花盛りだし、正月の神社参拝も盛んだ。

精神を病む人も多い。明治以来西洋文明をひたすら取り入れてきたが、今は日本をじっと見つめなおす時だ。だが、教育された脳は、そう簡単に、立ち止まったり、方向転換をすることができない。インテリ、成績の良い人ほど、頑固に過去に得た知識にこだわる。

鎌倉時代に法然上人が「念仏」をすすめて、浄土宗として続いている。その弟子の親鸞聖人の教えは浄土真宗として続いている。宗教を避けようとする歴史の教科書では「一向宗」として、ちょろっと出るだけだ。

法然上人の遺言である「一枚起請文」は念仏をするときの心得をのべたものだが、現代人にも賛同できるところがある。

くどくどと、同じことを述べられているので、勝手に要約します。

「いくら学問をした人でも、文字も読めない無知な人のような心になって、小賢しいことは考えずに、ただひたすら、南無阿弥陀仏と唱える」ということです。

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2011年2月20日 (日)

仏になる 2

「仏になる」のつづきです。仏教は自分が仏になるという教えです。

お釈迦様が、生まれた時に「天上天下(天の下なので、てんじょうてんげと読みます)唯我独尊(ゆいがどくそん)」といわれたという、うそ話がありますが、うその中に真実があります。赤ちゃんがそんなことをいうわけはありませんが、お釈迦様の思想の一端を表しています。

私の解釈でいいます。とにかく自分を大事にして下さい。今の世は地獄です。自分を見失う。自分を嫌う。自分をつまらない者とおもう。これは全て間違いです。あなたは、かけがえのないひとつの命です。

自分こそが尊いのです。偽善者は他人のためというが、お釈迦様は唯我独尊といわれた。お釈迦様自身もそうだが、すべての人、ひとりひとりが唯我独尊、尊いのです。

いまは偽善者が多いので、だまされないで下さい。あなた自身を大事にして下さい。そのことによって、他人を思うことができます。

お寺の僧をわるくいい、学者や作家などの書いた仏教の本を喜ぶ人が多いが、それは危険です。

私が仏になるのです。なかなかなれません。ですが、一ミリでも近づきたい。その分幸せになります。あなたが仏になるのです。「成仏」は単に死ぬことではありません。今は、「よく生きること」と言っておきます。わたしも、まだわかりませんので。

デタラメな仏教論が多いです。お釈迦様の話を直に聞きましょう。

「お釈迦様」のことを「お釈迦さん」という人が僧のなかにもいますが、そこらへんのおっさん扱いするのは許せない。「釈迦」「釈尊」というべきでしょう。

南無阿弥陀仏

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2010年3月 3日 (水)

生死を越える

『ごほうび』       

しぬのは いきるものへの ごほうび

だれでも おなじごほうび もらえる

それまで いきているのも ごほうび

     平成二十二年弥生      四郎   

●仏教では「生死を越える」ということを教わります。が、どうすればいいのかよくわかりません。わかりやすい詩を読みましたので公開します。(出典を明示されれば書き写し自由です。いずれ版画にしたいと思っています。)

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2009年12月15日 (火)

自分の心

自分の心を安定させ、強くすることによって、幸せになる。仏教はそのことのためにあるように思います。 

生きている人はだれでも、いやな目にあいます。心配ごとが次々とおそってきます。そんなときに冷静に対処していく力をつけていくことが大事です。学校での勉強もそのためにするのではないか。

例えば人に悪口をいわれたときに、人は体が熱くなって、頭にきます。しかし、修行をして「人間ができている」状態になれば、体が熱くなったり、表情が変わったりはしません。

子供でも、そういう人間になることを望んでいるのではないでしょうか。残念ながら、いまの教育では、いわゆる知育偏重で、そのあたりの心の教育は弱いです。仏教にかぎらず、宗教がその方面のことをやってきたのですが、誤解されているようです。

まず死、自分の死を見すえておくことが、今を、今後をよく生きるために、役立ちます。昔から「死んだつもりになって」と、いわれているとおりです。死んだつもりになっていれば、人に悪口をいわれても平気なはずです。なかなか難しいですが、そう思うだけでも少しは楽になります。

昔から年寄りのひとが、何かあるたびに浄土門の人なら「なむあみだぶつ」と唱えるのは、それが実際効果があるからでしょう。キリスト教徒でもそうです。現代の日本人は歴史的な経過によって、ここが弱い状況にありましたが、今変化しつつあると感じます。

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2009年6月12日 (金)

宗派を越える大きな心

仏教を学ぼうとすると、宗派の壁にぶちあたる。

浄土門でも、浄土宗と浄土真宗では、違う所が多い。

私の家は浄土真宗の西だったので、子供の頃から見聞きしていたお経や、法事のやり方など、真宗のものが頭に入っている。今他の宗派を勉強してみると、その違いに戸惑う。そこで常に釈尊にまで逆上り、お釈迦様なら、どうおっしゃるか?どうされるか?と問いつづけることが間違いを防ぐことになる。

宗派の祖師の言われることを全てうけいれると、他派の祖師の言われることとは矛盾してしまう。唯一矛盾しないのがお釈迦様でしょう。

浄土真宗は親鸞上人を立てているが、親鸞上人は法然上人を全面的に信頼されていたし、観音信仰もあった。しかるに、真宗では、わずかに源空〔法然上人のこと〕の名は出てくるが、「一枚起請文」にも触れない。歴史教育で法然と一枚起請文を線で結ぶことだけは、知っているが、読んだこともない人ばかりだろう。これは実にお勧めです。一枚だけだから短文です。教科書にのせるべきなのだが・・

浄土真宗の方もぜひ読まれると良いでしょう。「南無阿弥陀仏」の念仏に磨きがかかることうけあいです。

般若心経や、観音信仰や地蔵信仰も日本の歴史のなかで日本人の心のなかにしみ込んでいる、だが真宗では無縁だ。けれども、先々代の法主の大谷光瑞師は観音さまや、般若心経についても大事なものとして講演されている。真宗の僧侶も庶民の信仰にもっとおおらかであるべきだろう。他宗ではやるが、水子供養をされるお寺もあって良い。どこの宗派も教団の維持に力が入り過ぎている。お釈迦様ならどういわれるだろうか?大谷光瑞師は親鸞上人のことを見真大師とされているが、これは明治天皇から下されたもので、最近これを使わないようになったのは、とてもよいことだ。

大師号は朝廷からいただくものということさえ、きちんと認識していなかった。江戸時代ならともかく、廃仏後の明治や昭和の大師号など即刻返上されるべきだろう。お大師様は弘法大師空海だけで良い。

座禅についても、天台宗や真言宗でも、似たような瞑想をやっているのに、そのことに一般の人は無知だ。

とにかく仏教は誤解だらけでうんざりするし、呆然としているのが現状です。

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2009年5月 2日 (土)

日本仏教はやわかり

仏教を学ぼうとしても、どこから入ったらいいのか、初心者はわかりません。以前、この欄で紹介したサイトのものが、なぜか消えていましたので、急遽、私の書いたものをお読みください。

http://homepage3.nifty.com/harebuta/sainotuno.htm

気をつけてほしいのは、新興の教団の巧妙な勧誘です。前にも書きましたが、金はなくても仏教はできる。むしろ、金がない方が良い。まず、お釈迦様の言葉を聞くことです。立派な建物や、マスコミでの名声、高いベストセラー本、有名であること、などにだまされないように、自分を作り上げること。自灯明がそれです。

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