学校で習ったことを鵜呑みにするな
「日本仏教史」の本を読むと、なんのことはない、日本史そのものです。
逆にいうと、学校で習う日本史は、むりやりに仏教臭を消した欠陥のある日本史です。
戦後の教育は、キリスト教徒のアメリカ占領軍、GHQに厳しく指導されて作られたもので、
当然戦前の教育、国家神道の否定から始まっています。が、宗教はその国の民族意識と
密接にかかわっていますので、宗教を押しつけることまではしていませんが、左翼思想の影響もあって、学校教育では宗教に関わってはならないという方針が明確にされました。
私学ではキリスト教、仏教、新興宗教など、いろんな宗派が学校を作っています。そんな学校に通った人も多いでしょう。
公立学校では、ことさら宗教を避けてきました。
戦前の明治時代に始まった学校教育でも、一休さんなどのどうでもいいような話以外、本質的な仏教を教えることはありません。国家神道をかかげていて、国民を教化するために儒教なとを取り入れています。欧米列強に追いつけ、追い越せということに夢中で、経済、軍事に邁進したので、仏教はじゃまになるかもしれません。
戦後70年立ちました。すでに第三次世界大戦はないといわれています。
自分の国だけが発展することを考えても無駄になりました。地球にいる人間、生物、地球そのものの存続を考える時代になったのです。
そこで仏教が見直されるのです。争って仏教を学んでください。学校教育は古すぎます。
教育者の一部が新しい教育をしようとしても、新しい教科書ができるのには、20年またなければなりません。おそすぎます。だから、自分で研究しなければならないのです。
今は幸いにも、歴史始まって以来の情報社会です。誰でも情報を手にいれることができます。若い人は、今現在の権威、社会で地位や名声をもっている人、そのようなエライ人の話、それを持ち上げる多くのバカな人々、マスコミなどを、冷静な目で見る人にならないとだめです。そのために仏教は役に立ちます。最近はしにせの出版界の堕落も極まっています。
世の中を冷静に見通すためには、まず自分を確立すること、そのために仏教が役に立つのです。今現在だけを見るのではなく、二千五百年も存続してきた智恵を学びましょう。
私は六十歳から、本格的に研究をはじめましたが、目からうろこ、とてもおもしろいです。
インド人、中国人の考え方にも驚くとともに、日本人の考えかたもわかります。
特に、日本を知るためには、仏教を知らないとなにもわかりません。
高校の日本史を改めてみてみましたが、詳しく項目を書いてありますが、名前や著書の羅列に終わってしまいます。一応の説明があるのですが、十代の人に、これで仏教を理解しろというのは酷です。ただ覚えるだけ。とにかく各宗派の膨大な情報がありますので。教科書を作るひとも苦労しているところでしょう。
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