「なる仏教する仏教」 まだ出版されていませんが
平成30年3月に原稿を納めて以降、さらに研究を続けました。
「シンギュラリティーは近い」レイ カールワイツ著 のエッセンス版を読みました。
副題は「人類が生命を超越するとき」です。21世紀になって、コンピューターとその周辺機器の発展によって、脳や生命の新情報が日毎にもたらされ、技術の進化で人工知能も急速に育っています。この本は前半は、素人には難しいのですが、後半は昔のSFのようです。
この本でも仏教が一瞬だけ触れられています。脳科学の本なとでも、必ずといってよいほど、仏教が出てきます。仏教について一応知っておくことは必須です。
近所の図書館が良い本を捨ててくれます。岩波の日本思想史体系「親鸞」「日蓮」など数冊いただきました。大著なのでよみきれていませんが・・・
先日は「脳とこころ」平井富雄先生の本をいただいてきました。坐禅で瞑想中の僧の脳波を調べていた人です。30年前の本なので、現在もそのまま通用するのかわからないのですが、良い本でした。今はMRIなどで脳を輪切りにできるので、研究は飛躍的にすすんでいるはずです。ただ、どうもアメリカなどの研究者も坐禅しか知らないのかもしれません。
前の記事で紹介した「どうせ死ぬのになぜ生きる」では、著者が真言宗なので、坐禅以外のやりかたを紹介しています。わたしの場合は、自律訓練法も失敗、坐禅には耐えられない、そんな暇もないし、あげくに念仏と般若心経にたどりつきましたので、それを紹介しています。この二つをやるので二刀流と称しています。行住坐臥、いつでも行える行です。
実家は浄土真宗西本願寺ですが、行をやりませんので、自分で勝手に般若心経をとなえています。親鸞聖人の師である法然上人の浄土宗(芝の増上寺、京都の知恩院)のことを少し学びましたが、真宗とはずいぶん違うなあと思いました。
真宗教団では観音さまも消えてしまっているのですが、親鸞聖人には観音信仰がありました。日本で人気のあるお経は、法華経、阿弥陀経、観音経などで、落語や浪曲、芝居などでよく出てきます。これを知らないと、日本の古典文化はわかりません。
私は40歳くらいのときから、苦悩に耐えきれず仏教を研究することにしたのですか、本屋で買った本で観音経を唱えてみました。子供のころに浪曲「歌入り観音経」(美空ひばりさんも歌っています)などを耳にしていたのですが、実際にお経を読んでみると、なぜ昔の人がこれを頼りにしていたのかということが、少しわかります。特に観音経は、世捨て人ではなく、現実の世界で仕事をやる人には元気の出るお経です。日本人の文化的な財産として、もっと役に立ててもいいのではないかとおもいます。
現世利益だからといってばかにする人がいますが、苦しみと絶望の底にいる人は、わらをもつかむ思いで、観音経をとなえるのです。力をもらえます。
まあ、歎異抄のようなインテリ(死語か?)の好みではないでしょうが、初めて読むお経としてはおもしろいです。浅草寺は観音さまですから、お参りする人は試してみてください。
「なる仏教する仏教」では観音経のことをふれる余裕がなかったのですが・・・(本のp25の絵でお坊さんが読んでいるのが観音経です。4月18日追記)
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
最近のコメント