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2012年4月 6日 (金)

なむあみだぶつってなに?

  おばあちゃんが「なむあみだぶつ」と、つぶやいているのを見た子供が聞きました。
「なみやみだぶってなーに?おまじない?」 南無阿弥陀仏ってなに?と聞かれて、大人はきちんと答えられるでしょうか?
 辞書の大辞林で『南無阿弥陀仏』をひいてみると、こう書いてあります。
『阿弥陀仏に帰依するの意。浄土宗などでは、それを唱えることによって阿弥陀仏の浄土に救済されるとする。弥陀の名号。六字の名号。なむあみだ。』
 岩波仏教辞典では、もうすこし詳しい。
『(南無)はサンスクリット語namo(わたくしは帰依します)の音写語であり、(阿弥陀仏)は仏典にこの仏を(無量の光明の仏)とも記すうち、サンスクリット語amita(無量の)を出して略称したといわれる。阿弥陀仏はわが名号を称える者を浄土に往生せしめると本願に誓い、衆生の積むべき往生行の功徳のすべてを代わって完成して、これを名号に収めて衆生に廻施している。この意味を善導は、(帰命)の二字と(阿弥陀仏)の四字、合わせて六字に関する釈義で明らかにしている。親鸞はこれをうけ、(南無阿弥陀仏)は衆生が浄土に往生する因であるから、名号のいわれである「まかせよ、必ず救うの仏の呼び声」を問信すべきであるという。親鸞は名号を本尊とし、六字のほかに九字、十字の名号を書いている。ちなみに、かれは(南無)を(なも)と発音している。「あなかしこといふ終わりの言やはあるべき。南無阿弥陀仏とこそ申さめ』
 日本で浄土教をうちたてたのが法然上人でであり、法然上人を宗祖とする浄土宗が今日まで続いています。
 南無阿弥陀仏、念仏を知るために、法然上人の『選択本願念仏集』を読みましょう。
 その一には「道綽禅師、聖道・浄土の二門を立てて、しかも聖道を捨てて正しく浄土に帰するの文」とあります。
 仏教を聖道門と浄土門の二つに分けています。聖道門は難しくて、きびしい修行をして自分の力で悟りを開くものです。
 浄土門は仏様の力によって極楽浄土に行くことができるやさしい行です。
 だから法然上人は、だれでもが救われる浄土門のほうを選びました。
 その二には、「善導和尚、正雑二行を立てて、雑行を捨てて正行に帰するの文」
 法然上人は中国の善導大師の『観無量寿経疏』に書いてあることに賛同し、「偏へに善導一師に依る」といわれました。
 極楽浄土へ行くための行を、正行と雑行のふたつに分けました。
 正行は五つあります。
①観無量寿経・阿弥陀経・無量寿経を読む。②阿弥陀仏と極楽浄土の美しさを思い描く。③阿弥陀仏を拝む。
④阿弥陀仏の名を称える。
⑤阿弥陀仏をほめたたえて供養する。
 この五つの正行のうちから、④の阿弥陀仏の名を称える、称名念仏を選んで正定業としました。そのほかの四つは助業としました。 阿弥陀仏の名を称える称名念仏を一番大事なこととして、とにかく「南無阿弥陀仏」と念仏を称えることをすすめました。
 その三には、「弥陀如来、余行をもって往生の本願としたまわず、ただ念仏をもって往生の本願としたまえるの文」        ここでは阿弥陀如来が主語になります。このあと、わたしたちが念仏をすると、どうして極楽往生できるのか、ということを説明していきます。              『無量寿経』に、阿弥陀様が如来になる前、法蔵菩薩という名前で修行をしていたときのことが書かれています。
 法蔵菩薩が四十八の願いを立てました。その願いがかなわなかったら阿弥陀如来にはなりません、という願いなのですが、もう阿弥陀如来になっているので、その願いはかなったということになるのです。
 その願いのうちの第十八番を特別に良いものと考えたのが浄土教です。
 善導大師は『往生礼賛』には第十八願をこう書いています。
「もし我成仏せんに、十方の衆生、我が名号を称すること、下十声に至るまで、もし生ぜずんば正覚を取らじ」
 さらに「彼の仏、今現に世に在して成仏したまえり。まさに知るべし。本誓の重願虚しからず、衆生称念すれば必ず往生することを得」とつづけています。
 法然上人は、源信の『往生要集』からも引いて、念仏のありがたさを説明しています。 難しい修行をできる人は少ない。仏像を作るのも金持ちしかできない。けれども、「なむあみだぶつ」と念仏を称えることなら、貧しい人でもできます。お金もかからず、いつでも、だれでもできる、とても良い方法だということです。
 法然上人は、みんなが救われてほしいという願いから、念仏を称えるという簡単なやり方を見つけ出して、みんなにすすめたということです。
 亡くなる前に『一枚起請文』という一枚の紙に、念仏の極意を、みんなのために書きました。くどいほど同じことを、ていねいに分かりやすく伝えようとされています。 

最近、浄土宗の専門課程で書いた文です。

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コメント

ご無沙汰しています。父が病気で亡くなって滅入る気持ちで日々過ごしていますが、溜息ではなく南無阿弥陀仏を口癖にしようと決めました。

投稿: 時雨 | 2014年4月11日 (金) 00時34分

いいですねえ。わたしはなんでもかんでも南無阿弥陀仏です。ジョギングのときに頭で数をかぞえていたのですが、念仏にしました。
ただ、距離をはかるときなどは、
般若心経が便利です。

投稿: 矢玉四郎 | 2014年4月13日 (日) 14時00分

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