仏になる
過去にも「なる仏教」の題名で書きました。私の仏教の勉強はまだ5年くらいにしかなりませんが、多くの先輩の僧が実践を勧めますし、「仏教はこの私が仏になろうとするものだ」とは、何度も聞きました。だからこそ初学者の私でさえ、「なる仏教」「する仏教」ということを説くことができるのです。
浄土真宗で「お念仏、南無阿弥陀仏を唱えるだけで成仏できる」というとき「成仏」はまさにほとけになるということです。
「妙好人」は、阿弥陀仏と私とが一体となっている感覚を得たひとのように思えます。
お釈迦様自身が生身の人間であることが仏教のすばらしいところです。
お釈迦様がなくなったあと、阿弥陀様や観音菩薩がどうやって生まれてきたのかはよくわかりませんが、中国ではなくインドで形成されたようです。
最近有名文化人が仏教について書いた物がベストセラーになりますが、ほとけくらぶにおいでの方は、ぜひぜひ、お経そのものを読んでください。とてもおもしろいです。原典を自分で読んで自分で考えるようにするといいです。
一応葬儀、法事などは縁のあるお寺にしたがうとしても、宗派、教団にとらわれず、釈迦の直弟子として、自分の仏教をうちたてる。自分が仏になることを目指すというのが、2010年の仏教としてはいいでしょう。
とてつもなく広い深い仏教の世界ですから、死ぬまですることがいっぱいあります。死んでからもあるようです。楽しいです。
[2011年3月18日 一部書き換えました。]
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コメント
仏教は死んでからもする事がいっぱいあるという発想がとても良いです。神や仏を頭に置かずに生きてると生は死によって全てが終わるような感じがして、とても怖くなります。
投稿: 時雨 | 2010年2月 2日 (火) 12時20分