« 2009年5月 | トップページ | 2009年9月 »

2009年6月12日 (金)

宗派を越える大きな心

仏教を学ぼうとすると、宗派の壁にぶちあたる。

浄土門でも、浄土宗と浄土真宗では、違う所が多い。

私の家は浄土真宗の西だったので、子供の頃から見聞きしていたお経や、法事のやり方など、真宗のものが頭に入っている。今他の宗派を勉強してみると、その違いに戸惑う。そこで常に釈尊にまで逆上り、お釈迦様なら、どうおっしゃるか?どうされるか?と問いつづけることが間違いを防ぐことになる。

宗派の祖師の言われることを全てうけいれると、他派の祖師の言われることとは矛盾してしまう。唯一矛盾しないのがお釈迦様でしょう。

浄土真宗は親鸞上人を立てているが、親鸞上人は法然上人を全面的に信頼されていたし、観音信仰もあった。しかるに、真宗では、わずかに源空〔法然上人のこと〕の名は出てくるが、「一枚起請文」にも触れない。歴史教育で法然と一枚起請文を線で結ぶことだけは、知っているが、読んだこともない人ばかりだろう。これは実にお勧めです。一枚だけだから短文です。教科書にのせるべきなのだが・・

浄土真宗の方もぜひ読まれると良いでしょう。「南無阿弥陀仏」の念仏に磨きがかかることうけあいです。

般若心経や、観音信仰や地蔵信仰も日本の歴史のなかで日本人の心のなかにしみ込んでいる、だが真宗では無縁だ。けれども、先々代の法主の大谷光瑞師は観音さまや、般若心経についても大事なものとして講演されている。真宗の僧侶も庶民の信仰にもっとおおらかであるべきだろう。他宗ではやるが、水子供養をされるお寺もあって良い。どこの宗派も教団の維持に力が入り過ぎている。お釈迦様ならどういわれるだろうか?大谷光瑞師は親鸞上人のことを見真大師とされているが、これは明治天皇から下されたもので、最近これを使わないようになったのは、とてもよいことだ。

大師号は朝廷からいただくものということさえ、きちんと認識していなかった。江戸時代ならともかく、廃仏後の明治や昭和の大師号など即刻返上されるべきだろう。お大師様は弘法大師空海だけで良い。

座禅についても、天台宗や真言宗でも、似たような瞑想をやっているのに、そのことに一般の人は無知だ。

とにかく仏教は誤解だらけでうんざりするし、呆然としているのが現状です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年5月 | トップページ | 2009年9月 »