« 2008年5月 | トップページ | 2008年8月 »

2008年7月25日 (金)

釈迦の言葉2

 前回の四苦八苦の残りは求不得苦(ぐふとくく)求めるものが得られない苦しみ、五蘊盛苦(ごうんじょうく)。

 前者は説明不要でしょう。後者は五蘊=色・受・想・行・識。それぞれ肉体、感覚、表象、行い、認識などと説明される、がそのような人間の働き、つまり元気に生きていること自体の苦しみということだろう。

別の言い方では、「一切皆苦」。釈迦は生きる苦しみをいい、さらにその苦しみから抜け出る方法を説いている。これが仏教の根本の教えといえる。

仏教は苦しみを楽に変えるための教えだ。えっ、ほんと?といいたくなる。だが、釈迦は自身が苦しみから抜け出す法を追求しつづけたのだと思える。

 釈迦自身の発言として意外なものがある。これが、もっとも重要なメッセージだと思える。「自分を頼りにしなさい」ということだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月 6日 (日)

四苦八苦

「ほんとに、四苦八苦してます」と日常いいますが、これがまぎれもない仏教用語です。四苦は「生老病死」老、病、死は説明無用だが、生を苦だと断定したところがすごいと前回書きました。

八苦のうちの後の四苦の一つ目は「愛別離苦」(あいべつりく)別れの苦しみで、失恋や家族を失うことなども、これに含まれます。

「怨憎会苦」(おんぞうえく)これがすごい。怨念の怨、憎悪の憎。怨みを抱く人、憎たらしい人、きらいな人と会わなくてはいけないこと。

学校でも会社でも、仕事先にも、嫌なやつがいる。だけど行かないわけにはいかない。だれにも覚えのあることで、ほんとに苦しい。いじめっこもここに入る。

家族の中に居ることもある。どうにもならない。

まったく現代的な問題でもある。お釈迦様は二千何百年もまえに、ちゃんと指摘されている。

「怨憎会苦」という言葉があるのだと、思うだけで、かなり楽になれると思います。その苦しみは自分だけのものではない、生きていればだれでも味わう苦しみなのだと、きっちり覚悟すること。それだけで、いくらかは楽になります。

にげないで「そうか、これが怨憎会苦というやつか」と、思うことが解決の第一歩です。

「ではこの苦しみを見極めてやろう」と思えれば最高ですが、老人ならともかく、若い人は、なかなかそうしたたかにはなれないでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月 1日 (火)

釈迦の言葉

お釈迦様はゴータマ・シッダルタという人ですが、この人がいわれた言葉を、直接彼から聞いてみると驚きます。といっても講演のテープが残っているわけではありませんが、近年原始仏教の研究がすすみ、初期のお経のなかにお釈迦様が言われたという言葉が残っています。

「一切皆苦」「生きることは苦しみである」ときっちり言い切ったのがお釈迦様のすごいところです。

人はだれでも苦しい。「生きる喜び」を叫んでも、生きる喜びは得られない。「命を大切に」などと言葉で言っても自殺しようとする人は救われません。

まず、「生きることは苦しい」のだと、はっきりと認めることからはじめなければ根本の解決にはならない。

何事かがあってとても苦しい時に「生きることは苦しい」そう思うと、「ああ、この苦しみは、生きていることの苦しみなんだ」と、思える。

それだけで、少し救われる。具体的な自分の苦しみが、人間というものの普遍的な生きる苦しみとして考えることができる。

「自分だけがなんでこんな苦しみを受けなければならないんだ」という思いから抜け出せる。苦しんでいない人は恐らく一人もいない。みんなごまかしているだけだ。まじめな人は特に危険だ。

ではどうすれば良いのか。ここからが、お釈迦様の出番だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年5月 | トップページ | 2008年8月 »